道路脇の文化遺産

こんにちは!いせ弥です。

今年、このあたりはまだ梅雨入りせず。
なんでも、観測史上最も遅い梅雨入りになりそうだとのこと。
田んぼには今の時期しっかりと水を与えてやらねばならないので雨の量が少ないと米や野菜の成長に影響しないか、少し心配です。

さて、当店のある奈良県 中山間部ではクルマでの移動が主になります。
峠を登るときにしばしば見かけるのは”意味もなく道のわきにある空地”。
バス停にちょうどぐらいの大きさなのにバス停あるわけでももなく、中途半端に半月型の植え込みがあるとか、とても不思議なエリアです。

実は、これは旧道の痕跡。
今でこそ片側2車線、200m先まで見通しバッチリの道路ですが、昔は峠に道を作るのにうねった地形に沿ってしか道を引けません。
そこに新しく太くて便利な道を造成したとき、元の道でうねっていたところの内側を削ったり埋め立てたため、特にうねりが強かったところの外側部分がそのまま残っているのです。

そのように観察していると、昔の道路がどんな幅でどのあたりを通っていたのか、そして当時の生活の様子が見えてきます。

細くうねった道は山の間を街灯もないなか延々と続いており、私の叔母さんの話では父と親戚の家まで往復するために朝暗いうちから晩まで歩き続けたと言っていました。
それこそ平野部出身のウチの母はどんな思いで嫁いできたことでしょう。

脇道にそれて行ったあとにさらに急な勾配の場所に向かっている様子が見て取れると、今のクルマでもそのルートでは行きたくないと思うほど。

幼少の時、先代が「平野部から宇陀にあがるとき、当時の木炭車では馬力が足らんから、途中から車を降りてみんなで押してあがっていったもんや」と言ってました。

そんな状況だからこそ宇陀松山にはすべての商店や施設が揃っていたし他の地域からも品物を求めて人が来たし、古く江戸時代には商家が藩の業務委託を受けて「藩札」を発行していました。
エリアが分断されているので各地域の自治体制が強くなるんですね

今の生活ではアクセルひとつで20分の峠道。
普段見過ごしている空地にも思わぬ歴史を紐解くカギが垣間見えます。
ぜひご自身の目で確かめてみるのも楽しいですよ!

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