宇陀松山

奈良一奈良漬 いせ弥がある「宇陀松山」。江戸時代の町並みが残り、奈良県内で3カ所が指定を受けている重要伝統的建造物保存地区です。
この地域の歴史は古く、戦国時代に在地領主である秋山氏の居城と城下集落として誕生、さらに織豊期から江戸の初めに豊臣家配下の大名によって城と城下は大規模に整備されました。

その後 織田家宇陀松山藩(織田信雄:のぶかつ。信長の次男)から幕府領へ移り変わり、町(松山町)は江戸期を通じ奈良県南部の中心をなす城下町として「松山千軒」、「宇陀千軒」とも称されるほど繁栄しました。
今も残る当時の建物は、間口(屋敷の横幅)が8間半(約15.5メートル)もある屋敷もあり、凝った格子や虫籠窓(むしこまど)、犬矢来(いぬやらい)、駒寄せなどを見ることができます。

また、通りをつなぐ筋からは町屋越に遠くの山並みの緑色と、美しく並ぶ瓦屋根の灰色、漆喰壁の白色が渋いコントラストで構成され、道路脇の水路(前川)に流れる清らかな水が奏でるせせらぎをBGMにゆったり楽しむことができます。

(写真は 駒寄・格子が美しい久保家。奥がいせ弥)

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